昭和27年12月に 森 兼十は大淀急運株式会社(現 オオヨド急運株式会社)を設立しました。
昭和28年には ダイハツ工業株式会社池田工場の他に、久保田鉄工株式会社(現 ㈱クボタ)
堺製造所への納品代行便を開始。昭和50年まで生産ラインへの納品を続けました。
当時のお得意様には 日本オイルシール工業株式会社(現 NOK㈱)様、株式会社明電舎様、
国産電機株式会社様、日本電装㈱(現 ㈱デンソー)様、三國工業株式会社(現 ㈱ミクニ)様、
東洋ラジエーター㈱様 がありました。
昭和41年の森 廣太郎の社長就任に伴い、会長に就任し第一線を退く。その後 80歳を機に引退。
99歳で大往生するまで、近所の評判は「かくしゃくとして、お洒落なおじいさん」でした。